file29 檀(まゆみ)
当店でこのほど発売された「石衣 檀」。こちらは高松が屋島源平合戦の舞台となったことから名付けました。
檀は真弓と書かれることもあるように、弓を作る材料とされていたようです。
「平家物語」の名場面、那須与一は檀弓を使って扇の的を射たのではと昔に思いをはせました。
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高松平家物語歴史館より |
また、檀の木は茶花としても使われます。
檀は落葉広葉低木で、5月〜6月に花を咲かせ10月〜12月には実をつけます。
実は1pの刮ハが4裂し、橙赤色の実をつけます。実をつけるころ炉の茶花として使われるようです。
そして、檀の木は紙の材料としても使われています。
檀紙と言われ、昔は讃岐高松で作られていました。その名残で高松には檀紙町という町名が今でもございます。
檀紙は茶道では釜敷に使われております。釜敷には点前用に、紙と組み物がございます。
紙釜敷は千利休は吉野紙を用いたようですが、現在は美濃紙や檀紙が使われております。
主に炭手前で使われますが、お茶会などでは炭手前を省略する意味で香合をのせて床や書院に飾られております。
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何かと当店に縁のある「石衣 檀」です。
甘いもので気持ちをリフレッシュしたい時、ちょうど良いおおきさだと思います。
皆様にすえながく可愛がっていただければと願っております。
どうぞよろしくお願いします。
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ー参考文献ー「日本史」 山川出版社
「早わかり 園芸12か月」
「茶道入門」 田中仙翁 著
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file26 祇園坊の由来
和菓子には物語に重ね合わせた銘があります。祇園坊の場合。
安芸郡牛田村(かつては祇園村と呼ばれていました。)の不動院は安芸寸恵曼僧都の開基で有名です。
昔祇園村の片辺りに義念坊という僧がいた、深く僧都に帰依し無比の真言行者となりました。
ある日の修行のときに意地悪な者がいて、同地方の渋柿数個を御坊に送りました。
もとよりその企みを知る由もなく、直ちに本尊に供えました。
折柄護摩修行中なれば満日に至って食べると、非常に珍味にて御坊は大いに喜び。
お下がりとして返礼すると、気味悪がりながらこれを食べると、その甘みは驚くほどであった。
これは護摩の火気で渋が甘くなったのです。
この種のものを「祇園坊」というのは祇園村に住んでいたこの僧の故事によると言う説がございます。
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不動院 金堂(広島市・国宝) |
120年前の不動院 |
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桜門と金堂 |
鐘桜と桜門 |
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file11 炉開きと亥の子餅
炉開きは、茶室の衣替えにあたります。風炉から炉へと変わります。
旧暦10月初めの亥の日(2010/11/9)に炉開きをすると、火事をださず
一年間安全だと言われています。
この風習は中国が起源で、亥の日に餅をついて食し無病息災のおまじないを
したそうです。
炉開きの際、しばしば亥の子餅が使われます。
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5月〜10月 |
11月〜4月 |
亥の子は安産や火を守るとされ、亥の日にこたつなどの暖房器具を出す家庭もあります。
またこの時期、万病を除き長寿、子孫繁栄を願い亥の子餅を食べるとよいとされています。
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file8 真・行・草
しん ぎょう そう
真 ・ 行 ・ 草 とは、元々は書道の漢字書体からのようです。
真 端正な楷書で正格
行 真と草の中間
草 型にとらわれない自由で風雅な形
他にも、茶道・華道・庭園・絵画など伝統のある物にみられます。
実は、干菓子にもあります。
真 落雁などの打ち物
行 寒氷や錦玉
草 有平糖
干菓子を二種盛りにする場合は、真のものを向こう側にします。
干菓子の数は、お客様の数より少し余分目がよいようです。
* ご家庭でも、景色を楽しみながらお使い下さい。
コーヒや紅茶に添えるのも一興です。
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file6 和菓子の歴史
縄文時代 最初、木や草の実などの果実が味わわれていました。
稲作のつたわる縄文時代晩期、保存や持ち運びのよい、
団子や餅の原型が見いだせます。
平安時代 遣唐使らにより「唐菓子(からくだもの)」や、
米や麦の粉の生地を形どり、油で揚げた加工品などがありました。
鎌倉時代 禅宗とともに伝わった菓子が現れました。
これらは、点心で現代のように彩りのある甘味の多い菓子では
ありませんでした。
室町時代 次第に工夫され、小豆あんの塩味の饅頭が出来始めます。
羊羹や饅頭の原型が現れました。
ザビエルの来朝以降、南蛮の珍しい食品が我が国に持ち込まれます。
カステラ・パン・ビスケット・金平糖・有平糖などです。
江戸時代 江戸時代中頃、茶の湯の発展とともに茶人の美意識によって
菓子も具現化され始めました。
明治時代 洋菓子に対して、和菓子言う言葉が一般の国語辞典に掲載されました。
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file3 芋名月と豆名月
旧暦八月十五日夜の満月を、「中秋の名月」(芋名月)と言います。
十五夜に、お月さまに芒(すすき)を飾って月見団子・子芋・枝豆などを三宝に盛りました。
子芋は、皮のまま蒸した衣被(きぬかつき)を三宝に盛ってお供える風習がありました。
天の恵みで出来た作物に感謝し、月に捧げると言う意味です。
この風習から「芋名月」と言われるようになりました。
ちなみに、旧暦九月十三夜の月は「豆名月」と言われています。
収穫の時期の違いからのようです。
*地方によって呼び名に違いはあるようです。
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file2 重陽の節句と着せ綿
昔の中国では、陽の数字(奇数)の重なりを避けるため、避邪の行事が行われていました。
1月7日・・・七草の節句
(1月だけは1日を別格とします)
3月3日・・・桃の節句(ひな祭り)
5月5日・・・菖蒲の節句(端午の節句)
7月7日・・・笹の節句(たなばた)
9月9日・・・菊の節句(重陽の節句)
こちらが五節句と言われています。
旧暦九月九日(2010/10/16)は重陽の節句です。
重陽の前夜、菊花の上に綿を置き、夜露・朝露を含んだものを、
「着せ綿」と呼び、この綿で身を拭うと、肌つややかに老いも去るとされました。
菊を象った練り物の上に、白いそぼろを綿に見立ててかけてある。
「着せ綿」といわれるこのお菓子は、菊にまつわる伝説にあやかり出来ました。
長寿を祈ってこのお菓子でお茶を喫するのも一興です
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file1 おはぎとぼた餅
おはぎとぼた餅は、同じものなのだと言う説が一般的です。
つまり、食べる時期の問題なのです。
ぼた餅は、牡丹の花咲く春のお彼岸に食べるから「牡丹餅」と言われています。
おはぎは、萩の花咲く秋のお彼岸に食べるから「お萩」と言われています。
春の彼岸は農作業が始まる時期で、秋の彼岸は収穫の時期です。
この時期、小豆の赤は災害が身に降りかからないように、魔除けの意味があったので、
おはぎ(ぼた餅)を食べる習慣ができたようです。
誠に申し訳ございません。当店では、おはぎ(ぼた餅)は扱っておりません。
ただ毎年、餡をお買い求めになるお客様がいらっしゃいます。
ご家庭で、上質の餡を使っておはぎ(ぼた餅)を作ってみませんか。
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